頼れる結婚相談所

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ふだん強がりを言っている人が、失敗が明るみに出てすっかり度を失い、落ち込んでしまう例は珍しいことではない。 人間に失敗はつきものである。
欠点のない人もいない。 失敗したら、「まいった、まいった」と頭のひとつもかきながら、素直に媚びてしまえば、立ち直りも早い。
ある日、「スポーツのヒーロー」というテレビ番組に、ボクシングのG氏が登場した。 かつての世界チャンピオンである。
彼は、試合当日の控室で相手選手の姿を見たときのことを話していた。 「怖くなるんですね。とてもあんな強そうな相手に勝てるはずがない。
そう思ってマネジャー「それで帰っちゃうんですか」「本当は帰りたいけど、マネジャーが許してくれっこないですからね。 リングに上った相手の頑強な体を見ると、また、こりゃ絶対に勝てないなと思ってしまう。

ゴングが鳴って試合が始まる直前まではそうですね」「でも、試合が始まれば」「それから後は夢中です」シルベスタ・スタローン主演の映画『ロッキー』にも、似たシ−ンがあった。 もしかしたら、弱さを隠さない人が本当に強い人なのかもしれない。
ひとりの自分を大切にする職場に馴染めない、友達とうまくやっていけない、ストレスがたまって人と会うのがおっくうなどの理由で、「自分の世界」に閉じこもる人は、心を開いて、いろいろな人とコミュニケートする機会を持つように努めたほうがよい。 自分の世界に閉じこもり、人との交わりを避けていれば、次第に孤立して、社会的センスの欠知した人聞になってしまう。
人は自己をととのえつつ、他者との交わりを通して自分を豊かにしていくのである。 交わりの苦手な人は、ひとりの世界、自分の世界は要注意なのである。
K井氏の「星からの一通話』(講談社文庫)は奇妙な味のショートショートである。 「独りの部屋」の主人公「知子」は、アパートの二階の窓が暗いのを見て、「また今夜も帰っていないわ」と、つぶやく。
夫のいない暗い部屋に戻るのがいやで、彼女は一時間も喫茶店で時間をつぶしたことがある。 翌日、夫は会社を休むから部屋の掃除でもして待ってるよと言ったのに、その夜もアパートの二階の窓に明りはなかった。
次の日、彼女は勤め先の若い男性に、「家庭料理を御馳走するから、私のアパートにいらっしゃいよ」と、声をかけた。 「いいんですか」と言いながらも、彼はついて来た。
アパートの近くまで来たが、その日も二階の窓は暗かった。 ドアを開け、電灯のスイッチを押す。
いつもと同じ汚い部屋だ。 どうぞお入りになって、と背後に呼びかけてからドアを閉めた。

もちろん、知子に夫などいなかった。 一緒について来た若い男もいなかった。
つまり、心の中につくられた世界にすぎなかったのだ。 ひとりの自分を大切にする要点が二つある。
「交わりの苦手な人はひとりでいることに注意せよ」「ひとりでいるのに耐えられない人は交わりに注意せよ」ひとりが淋しい、ひとりになると落ち着かないという人がいる。 わたしの知っている女性も、マンションで独り暮らしをしているのに、ひとりでいるのが苦手である。
何人か一緒のときは、賑やかに喋り、陽気に振る舞い、とても楽しそうである。 つき合う仲間もたくさんいるらしく、いつもだれかと一緒に、旅行をしたり、音楽を聴いたり、お酒を飲んだりの毎日である。
ひとりでいるところを見たことがない。 その彼女が地方に出張した。
「ひとりで列車に乗るって淋しいものですね」彼女はしみじみとした口調で言った。 わたしはひとりでいるのが好きだから、ひとりは苦にならない。
むしろ、放っておくと人に会うのが面倒になるほうだから、機会あるごとにいろいろな集まりに参加するようにしている。 いやなことがあってそれを忘れようとすると、ひとりよりも何人かでワイワイ騒ぐほうを選んでしまう。
淋しくても、つらくても、人間には、ひとりでいる自分の時間、孤独な時間を持つことが大切だと思う。 自分という土台を徐々につくりあげていく上で、逃げないで自分と向かい合い、自分をみつめる時が必要なのだ。
人とのコミュニケーションは心を聞くものであっても、聞きっぱなしでは自分の尺度があいまいになってしまう。 閉じている自分があるからこそ、「開く」に意味がある。

「閉じる」「開く」には、その人の生き方、価値観がかかわっているのである。 「閉じる、ここからは立ち入るのを拒否する」そういう部分が人間にはなくてはならないと思う。
線をどこに引くかによって、その人が見えてくることもあろう。 そんなわたしでも、自分の世界の扉を開けよう知人から聞いた印象深い話がある。
日曜日の夕方、風鈴の音にさそわれて、縁先に出た。 小さな庭の片隅で、四歳半になる娘の靖子が泥いじりをして遊んでいた。
豆腐屋のラッパが近くで聞こえ、ブロック塀の外でガヤガヤ言う声がした。 まもなくギ−という音とともに、門が少しずつ聞かれ、五、六歳の男の子が顔を出した。
自分を受け入れることからすべてが始まる「どうしたの」と声をかけると、「あの、ボ−ルが」塀を越えてボ−ルが庭に入り込んでいないかというのである。 狭い庭だからみればわかる。
ボールはなかった。 「ないようだね。でも、よかったら入って捜してもいいよ」男の子は仲間を振り返ると、うなずいて何人かの子供たちと一緒に入ってこようとした。
そのときだった。 さっと立ち上がると、娘のY子が子供たちの前に立ちはだかり、きつい口調で言った。
「ボ−ルないよ!」そして、半分聞きかかっている門を、両手で力いっぱい閉めようとした。 子供たちは一瞬息をのみ、そのまま門に押されて後ずさった。
四歳半の娘の前に、木の門は大きく見えた。 すぐ子供たちの手で押し返されてしまうのは明らかだ。

事実、わたしから入ってもいいよと言われている子供たちは、門を押し返し、たちまち靖子はズルズルと後退した。 Y子は顔を真っ赤にして、もう一回押していき、いきなりこれもY子には手の届きそうもなかった門に飛びつくように手をかけ、さっと横に押すと、うまい具合にちゃんと入ってしまったのである。
こうなったら、門は子供たちが何人いようと外から開けられることはない。 それでも心配なのか、靖子はしばらくその前に立って様子をうかがっていた。
その顔はけわしく、せっぱつまっていた。 わずか一、二分の聞に起こったこれらの出来事を、わたしは唖然として見つめていた。
われに返ったとき、わたしの目にはY子の厳しい表情が映っていた。 気持ちを落ち着けようと、わたしはゆっくり庭におりた。
そして、できるだけ穏やかな口調で、娘に話しかけた。 「靖子、どうしたんだい」「中に入って見たいって言うんだから、見せてやったらいいじゃないか」Y子は、わかったのかわからないのか、前と同じ表情で、「ボ−ルないよ、ボールないよ」と、繰り返すだけだった。
四歳半の娘は、門によって遮られた「自分の世界」に、他人を入れることを必死に拒んだのだ。 その理由は何だったのか。
外で男の子たちにいじめられ、泣いて帰ってきたとき、強く抱きしめて「泣き虫だなあ、Y子は」と言って頭をなでてくれる父親の手を、味わったことはなかっただろう。 仕事でほとんど家にいないわたしは、一度だってそんなことをした覚えはない。


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